M&Aの現場
M&Aの現場で起きがちな課題は、始める前に把握しておきたいものです。一般的なことから現場の少し内側までを、企業経営の視点からご紹介します。
M&Aの表層
M&Aに関する基本的な事柄についてご案内します。
M&Aの関係者
売主 |
株式を譲渡するのであれば、売主様は株主です。株式(すなわち会社全体)ではなく事業だけ欲しい、という買主様もいらっしゃいますので、その場合、売主様は会社です。 オーナー経営者様の場合は「いずれにせよ自分が売主だから一緒」とお考えになりがちですが、それぞれに異なる特徴と注意点があり、必要な手続も異なります(株式譲渡が最善か)。 また、M&Aでは社内や親族が予想外の行動を取るケースも珍しくありません。通常の経営では何事も自分で決断でき、また自分で決断しなければならなかった経営者様に、予想もしなかった横槍の入ることがあります(意思決定は誰がする)。 |
買主 |
M&Aが経営の選択肢として広く認知されるようになり、買主様の裾野は広がりました。かつては大手だけだった事業会社の買手は中小まで拡大し、また投資目的の買手も専業ファンド、地域金融機関のファンド、事業会社内のファンドまで、多様化しています。 元々売り情報より買い情報の方が圧倒的に多いM&A市場ですが、買主様として何らかの差別化を行うことはますます重要になっています(選ばれる買主・選ぶ買主)。 |
仲介会社 |
仲介の形態は、不動産でお馴染みです。売主と買主を引き合わせる機能を提供して、売主と買主双方から報酬を得ます。 不動産よりも一般的に機密性が高いM&A取引で、不動産よりも遥かに定型化しづらい会社/事業を対象として、どのように最後まで売主と買主との利害調整を促し続けるか、が腕の見せ所と言えます。 双方から報酬を得る点で、利益相反のテーマについては議論があります。この是非については、個別の事案ごとに前もって判断なさっておくのが得策です(仲介かFAか)。 |
FA |
FA(ファイナンシャル・アドバイザー)は、売主か買主のいずれか一方をお客様とし、お客様の利益を最大化するために動いて、お客様からのみ報酬を得ます。 数多くの点で売主・買主の利害衝突が生じるM&A取引にはよく馴染む立ち位置で、世界標準と言えます。利益相反に対して厳格な公開企業様はもとより、「報酬を払う以上は自分らの利益のために働いてほしい」と考えるお客様に好まれる業態です(仲介かFAか)。 常に買収機会を探る企業や新規事業の立ち上げと売却を事業のひとつとする企業は、M&A専門部署を設けています。FAの選任は、スポットでM&Aの専門部隊を抱えること、とお考えいただくと良いかもしれません。 |
弁護士 |
多くの場合、弁護士が最初に登場するのは、買手による法務デューディリジェンスの場面です。会社設立から近い将来に至るまで、細部にわたる売手の法的なリスクが弁護士によってチェックされます(デューディリジェンス)。 もう一つは、契約文書の作成場面です。中でも最終契約はそれまでの交渉の集大成であり、譲渡実行後の出来事もカバーする最も重要な文書ですので、法律専門家による確認は不可欠です。ただし、背景や交渉経緯を十分に伝えないまま弁護士に契約書作成を依頼すると、金銭的・時間的に余計なコストが発生したり、不利益な契約を締結する事態に陥ったりします(最終契約は最初から)。 |
会計士・税理士 |
非公開企業では、M&Aについて顧問税理士にまず相談した、という経営者の方が多いかもしれません。全国の税理士ネットワークと提携する仲介会社もあり、初期的なM&A情報を入手する重要なチャネルと言えます。 また、買手による財務デューディリジェンスでも、会計士・税理士が経理・税務に関する実態とリスクを詳細にチェックします(デューディリジェンス)。 |
M&Aの手順
ルール |
公開企業は別として、会社の売り方に特別なルールはありません。他社の事例は参考にはなるかもしれませんが、会社の個性や置かれた状況は千差万別ですから、当てはまらない部分の方が多いというのが現実です。 対象が会社であれ事業であれ、売主様にとってはオンリーワンの存在です。ご本業の製品やサービスを販売される場合であれば、それが希少なものであるほど、綿密な市場調査を行ったうえで独自の販売プロセスを組み立てていかれることでしょう。M&Aだけが例外で良かろう筈はありません。 出来合いのルートに乗るのではなく、
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動き出し |
売主様に時間の制約がある場合(ご健康上の制約、資金繰りの制約等)は別として、まず十分な時間をかけて情報収集されるのが通例です。具体的な売却プロセスに入った場合でも、良い先が現れない、条件が折り合わないといった理由でプロセスを中止することはままあります。M&Aは一般に時間のかかることで、また時間をかけるに値するものです。 一方、相手のあることですから、タイミングを完全にコントロールすることはできません。出会った相手が理想の条件の持ち主でしかも前向き、というときに、ゆっくり時間をかけていれば機を逃します。 売却をお考えであれば、
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助言者選定 |
事業の立ち上げと売却を幾度もご経験であれば、売主様ご自身が主体となって売却プロセスをお進めになることと思います。この場合、助言者は使わずに、あるいは必要な機能だけのスポット助言で、手続を完了させることでしょう。 一方、最初で最後の会社/事業売却となる売主様であれば、ご本業の経営と並行して秘密裏に自社売却プロセスを推進することは相当な難事でしょう。そこに、仲介会社やFAの存在意義があります。 仲介とFAとどちらの形態がよいのか、どの業者がよいのか、の普遍的な基準はありませんので、ご本業での取引先選定と同様、いつもの経営者/オーナーの視点でご検討ください。 |
秘密保持 |
情報収集、ご検討、売却プロセスのどの段階であっても、従業員様、取引先、取引金融機関等に無用な不安を与えないよう、極秘裏にお進めになるのが鉄則です。稀に全てオープンにして推進される経営者もいらっしゃいますが、それは従来からフルオープンな経営を実践してきた等の個別の事情によるものです。 社外の当事者と秘密保持契約を締結することは当然ですが、契約が守られない可能性も想定しておくのが得策です。一旦漏洩した情報を取り消すことはできませんので、秘密保持契約が抑止力として働く相手としか締結しないのが基本です。 自社の役職員様を検討メンバーに加える場合、
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買主探し |
初期の段階でご検討いただきたい事項のひとつは
もうひとつは、
さて過去20年間で何度か「売主と買主は決まっていてほぼ条件も固まっている。最後の事務的なことだけ手伝ってほしい」とのお声掛けをいただきましたが、例外なく条件は固まっていませんでした。ゼロからやり直さないと前に進めないのは明白なのに、曖昧な文言で交わされてしまった覚書が邪魔をして巻き戻せない。そもそも売主様はその買主様で良いのかの確信を持っていない。むしろ後退した地点からのスタートでした。手前味噌にはなりますが、買主様探しの初期段階からFA(または仲介会社)にお問い合わせいただくのが得策です。 |
情報開示 |
よく分からないものには手を出さず、不透明なものはその分割り引いた評価をする、のは世の常です。買主様に対して売主様の会社や事業をどれだけ正しく整然と伝えるかは、条件を折り合わせるための最重要事項のひとつです。 売却プロセスのどの段階かによって調整は必要ですが、
良い情報も、雑然と開示するのは悪手です。売主様のストーリーで、
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競争入札・意向表明 |
入札方式の手順によって競争入札を行うと、入札要綱に沿って作成された意向表明書が候補各社から提示されます。 提示された条件が満足のいくものだった場合、総合的に良かった1社ないし2社を次のステップに招待します。売主様がどの条件にも満足しない場合その競争入札は終了させ、改めて買主探しから再スタートします。 |
基本合意 |
買主候補とそれまでに確認・合意した点を文書化したものが基本合意書です。次のデューディリジェンスのステップからは売主様・買主候補それぞれに相当な人的・金銭的負担が発生しますので、前もって認識を擦り合わせておくことが目的です。 確認のための文書ですので法的拘束力を持たせないことが基本です。ただし、買主候補が独占交渉期間を要求し売主様が了承した場合は、独占交渉権とその期間に関してのみ法的拘束力を有する、との定めが入ります。 基本合意書は必要に応じて締結するものです。状況に合わせて要不要をご判断ください。 |
デューディリジェンス |
買主候補が売主様の情報を精査することを、「デューディリジェンス(due diligence)」と呼びます。M&Aのプロセスは外資の投資銀行が持ち込んだため、「買収監査」の訳語もありますがカタカナで定着しました。M&Aの場面で「デューデリ」や「DD」の語が出たらこのことです。due diligence自体はM&A固有の概念ではなく、「投資に先立つ実地調査」や語義通りの「当然求められる努力」の意味で広く使われます。 買主候補は、自社の役職員に加えて弁護士や会計士を含むDDチームを組成するのが通例です。事業面、法務面、会計・税務面で詳細にわたる質問が大量に出され、売主様の代表者やキーパーソンに対するインタビューが実施されます。かつては売主様の会議室等で大人数が大量の資料をめくってコピーし続けるというものでしたが、近年はセキュリティが確保されたクラウドストレージに情報を開示し、許可対象者がダウンロードする形態(バーチャルデータルーム)が普及しました。インタビューもオンラインで実施されるのが普通となりました。 DDの仕切りは、売主様側のFAまたは両社の仲介会社が行います。とはいえ、会社データの取り扱いには売主様ご担当者の力が不可欠で、相当なご負担となります。
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最終意向表明・最終契約 |
DD結果を反映させた最終の意向表明が買主候補から提示され、最終交渉が開始されます。競争入札で複数候補をDDに招待した場合は、ここで1社に絞り込まれることとなります。交渉が整うと、その内容を厳密に織り込んだ最終契約書が作成されます。 M&Aの契約書は英米法の流れを汲んだ構成とすることが多く、これも日本に持ち込まれた経緯に由来します。FAが助言者として選任された場合はFAが初稿を起草のうえ適切な弁護士に確認依頼しますが、それ以外の場合は、
最終契約には合意内容が全て記され、記載されない事項は無効となり、譲渡後の一定期間にわたって売主・買主双方を拘束する、強力な文書です。ここまでの長いプロセスは、売主様の利益に沿う条項を最終契約に織り込むためにあったと言えます。 |
譲渡実行 |
M&Aの最終契約には譲渡実行の前提条件が定められるのが通例ですから、
最終契約の締結から譲渡実行までの間には、従業員・取引先への説明やプレスリリースを行うのが通例です。そのタイミング、順番、方法については買主とも十分な協議のうえ、慎重に実施する必要があります。 譲渡の当日は、前提条件が充足していることを互いに確認し、買主から譲渡対価が振り込まれたことを確認します。長い緊張が解ける瞬間です。可能であれば、金融機関の繁忙日時を除く日を譲渡実行日とすることをお勧めします。 |
M&Aの第二層
M&Aの現場では当たり前のことでも、なぜかあまり言及されないトピックがあります。表層からは見えづらい構造を無視すれば障害となり、利用すれば推進力となります。
意思決定は誰がする
仲介かFAか
株式譲渡が最善か
- 株式譲渡でM&Aを行えば、買主様はその債務ごと会社のオーナー
- 抜本的な解決策は、株式譲渡ではなく事業譲渡とすること
- 株式譲渡ありきで突き進むのではなく、事業譲渡その他の様々な選択肢を検討するのが得策
選ばれる買主・選ぶ買主
- 候補先に求める属性と優先順位を定め
- 該当する企業のリスト(ロングリスト)を作成し
- 情報収集して候補先を絞り込み(ショートリスト化)
- 内々に打診する
- 相対交渉に持ち込める確度が高いこと
中断すべきとき
- 無理をした売却/買収が残す禍根は、その比ではありません。
最終契約は最初から
- 全ての局面において、最終契約の文言としてどう落とし込むかを常に想定しながら進める
会社を売ると決めた理由
#1 立ち止まった
大手資本の系列企業が面を押さえる業界で起業し、仕入ルートと販路を一から開拓。常識外れの利益率を維持したまま売上高数十億円へと成長させた創業オーナーは、ある日初めてそれまでの足跡を振り返ったとき、前に進む気力が衰えていることに気付いたそうです。
その様な感覚は初めてのことで自分でも驚いた、でも一旦そちらの領域に踏み入れると事業のリスクばかりが頭に浮かび、次の成長ステージに進むための投資や開拓に躊躇するようになった、とのことでした。
お嬢様は中学生。ご自身は40代で健康でしたが、胸の内を見詰めて、会社の売却をお決めになりました。
#2 終わらせることにした
家業を継いで新規商品の開発に力を注ぎ、海外生産のコストメリットも活用して、いつもカタログ発行直後に完売してしまうのが悩み、という一大アパレルブランドを築いたカリスマ経営者。月次の資料に疑念を感じて、会社に隠れた不良在庫が積み上がっていることを知ります。
誠意をもって懇意の大手商社と取引銀行に説明しますが態度は一変。銀行が指定するコンサル会社の調査と指導を幾度も受け入れますが、状況は改善しません。遂に商社が販売金融の打ち切りを通告し、銀行は自らのM&A部隊で事業の切り売りを画策します。
しかし経営者は「最後くらい自分の好きなように手仕舞いする」と宣言。長年懇意にしてきた外部メンバーを集めて、売却手続を開始しました。
#3 家族を想った
農機具を台風から必死に守る大人を見て育ち、防災機器の開発を決意した青年起業家は、県の支援も受けて没頭し、納得のいく製品を完成させました。
製品は何度もメディアに取り上げられ、その都度問い合わせが殺到しますが、販売力の限界から波に乗り切れません。独占販売契約を交わした先とのトラブルも経て、複数の販売代理店網を地道に構築する方針へと切り替えます。休みなく全国を走り回って月日は流れますが、不運にも病を得てしまいます。
やるべきことは分かっていても、日に日に無理がきかなくなっていく体。苦労をかけた記憶しかない奥様やこれから大学生のお嬢様を想い、現金を遺すことが最優先と考えて、会社の売却をお決めになりました。
#4 立て直すと決めた
生活用品の受託製造を長く続けてきた同族企業は、徐々に厳しくなっていく取引環境の中で資金繰りに窮する月が増えていました。同年代の親族で話し合いながら切り盛りしてきた経営でしたが、それが逆に災いして大胆な転換に踏み切れずにいました。
取引銀行の姿勢が厳しさを増す中、外部からの助言にも後押しされ、様々な選択肢が検討されました。極秘裏にスポンサー企業探しが行われ、思う先から内諾を得ることができました。
スポンサー企業からの条件は大幅な債務カットだったので、法的整理を申し立てて一族は総退陣し、抜本的な立て直しをスポンサーに託す決断をされました。
#5 情を封じた
そのスポーツの愛好者なら誰でも知っているハイエンドなブランドは、歴史ある大手グループの一部門が運営していました。憧れのブランドも、そのスポーツ人口のピークアウト局面を迎え、徐々に勢いを失っていました。
集中と選択の潮流は否応なくそのグループにも及び、社外取締役からはその事業の継続に対して疑義が示されました。また、メインバンクからも、事業売却によるバランスシートの改善要求が出されました。
役職員の家族的な一体感を大切にする社風で、人員はグループに残すべきとの意見も強くありました。しかし専門性の高い事業の継続には不可欠な存在であり、ハイエンドブランドを部門ごと売却する意思決定が下されました。
#6 決めていた
地方都市で建設業やその周辺事業を手広く行ってきた企業は、それぞれの事業の波はあれどバランスが取れて安泰でした。地元の評判は良く、取引先や金融機関との関係も良好。不安材料は見当たりません。
ご子息もいらっしゃるオーナー社長が50代の後半で下した結論は、第三者への会社売却。周囲は驚き反対意見や翻意を促す声が上がりますが、社長は意に介しません。
売却の理由は「経営は意欲ある適任者に任せるべき、というのが持論。それに尽きる」とのことでした。
#7 切り替えた
アルコール飲料の選択肢が増え、日本酒のシェアは激減しました。また卸業者は販売数量を重視して安売りに誘導、造り手の利益率は低下の一途でした。独自のブランドと販路を構築できなかった酒蔵は、土地を切り売りして資金をつなぎ、最後に廃業する例が後を絶ちませんでした。
しかし、全くの異業種にもかかわらず、ブランド構築や販路開拓に自信のある企業が買い手として手を上げ始めました。もう新たには発行されない酒造免許や、蓄積された酒造りのノウハウ、維持してきた酒造設備といった、磨けば光る酒蔵の価値が再評価されたのです。
永年「家業」として続けてきた酒蔵を「事業」として第三者に続けてもらう事例が、全国に広がりました。